ドクタージャーナル14号
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不便ではあるが不幸ではない 二〇〇五年一〇月二七日、私はアルツハイマー型認知症と診断されました。 「あなたはアルツハイマー病です」と医師から言われたとき、私は頭が真っ白になり、質問することもできませんでした。 当時、私はまだ五一歳でした。 医師から十分な説明がなかったので、私は書店や図書館に通い、「アルツハイマー」に関する本を片っ端から読んで、勉強しました。 でも、知識が増えるごとに、私は希望を失っていきました。 何を読んでも、 「認知症になると考えることができなくなる」 「日常生活ができなくなる」 「いずれ自分自身のこともわからなくなる」 「意思も感情もなくなる」 というようなことしか書かれていなかったからです。 認知症は、世間で言われているような怖い病気でしょうか。 私は、自分が認知症になり、できないことは増えましたが、できることもたくさんあることに気がつきました。 認知症であっても、いろいろな能力がのこされているのです。 社会にある認知症に対する偏った情報、謝った見方は、認知症と診断された人自身にも、それを信じさせてしまいます。 この「二重の偏見」は、認知症と生きようとする当事者の力を奪い、生きる希望を覆い隠すものです。 私は、そのような誤解、偏見を、なくしていきたいと考えています。 「できる・できない」だけで、人間を語ることはできません。 自分が自分であることは、何によっても失われることはありません。 認知症になると、たしかに不便なことは増えますが、けっして不幸ではありません。 自分がどのように生きていくかは、自分で決めて、自分でつくることができるのです。認知症の体験を伝える 私がアルツハイマー病と診断された二〇〇五年にくらべて、認知症についての本や講座がずいぶんと増えました。一般の人も、認知症のことに、すごく関心を持っていると思います。 しかし、そうした本や講座のなかで、本人の立場に立った理解や支援を訴えるものは、ほとんどと言っていいほどありません。 逆に、それらをとおして、「認知症は怖い」「認知症になりたくない」といった恐怖心があおられてしまうのでは、困ります。 認知症になった自分だからこそ、新しくできることがあると思います。それが、認知症の体験を人に伝える活動です。 認知症をおそれず、前向きに生きていく希望を伝えるには、本人が話すのがいちばんです。それがもっとも説得力があります。 また、そうすることで、認知症の理解や支援には何が必要なのかが、いろいろと見えてくると思います。 もちろん、認知症のことを人には話せない当事者も、まだまだたくさんいます。その壁を乗り越えるには、社会にある誤解や偏見に立ち向かう勇気がいります。 そのためにも、声をあげられる当事者が、まず先頭に立って、発言していかなければなりません。 私は、「認知症になったら何もできなくなる」という偏見をなくしたい。 病状は人それぞれで、認知症になってもやれることはたくさんあるのだということを、多くの人に知ってもらいたいのです。「売名行為」と言われて 私は、講演の依頼があると、できるだけ応えて、あちこちに出かけています。 講演は、認知症の私には大変で、疲れますが、「認知症のことを理解してくれる人が一人でも増えてほしい」「世の中が変わってほしい」という願いをこめて、必死に話します。

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